遺言イメージ

遺言書には自分の気持ちと財産の気持ちのいい分け方を書いておく

どんな人間でもいつかは死を迎えます。
それが遅いか早いかの差ですが、年齢を取れば取るほど本人も周りの人間も死を身近に感じて行きます。
過日自分の父が亡くなりました。
身内が亡くなる寂しさも有りましたが、年齢も年齢なのである程度は覚悟していました。
母はさすがに肩を落としていましたが、自分としてはなぜか冷静な気分でいました。
自分は長男で無いので喪主をしないせいなのか、あまり当事者の感じを受けないのが自分でも不思議でした。
とうの昔に実家から独立していた事もあり、実家に帰って親に合う事も少なくなっていたせいで本当に実感が湧かない出来事でした。
しかしさすがに父の死んだ姿や御棺に入っている姿を見ると、もうこれからは会う事は無いんだとしみじみ感じました。
家はそんなにお金がある家ではなく、財産といえるようなものはほとんどなく、基本的には家が財産という形なので、遺言は無いと思っていました。
しかし父が亡くなった後に母から、遺言書があるという事を知らされました。
他に財産でもあるかと思っていたら、そうではなく残される家族への思いや家族で過ごした思い出がつづられていました。
ほとんどが私が子供時代の思い出の内容でしたが、自分でも忘れているような事でも父はきちんと覚えていて、遺言書に思い出を残していきました。
兎角遺言は財産の行き先を残すようなものだと思っていましたが、そういう場合ばかりではなく家族の過ごした日々や思い出を残す故人からの最後の手紙といえるものだと感じました。
遺言を読むと親にとっては子供はいくら年をとっても子供であり、且つ子供が小さいころの思い出は鮮明に残っているものだという事が分かりました。
財産を残してもらえれば確かに嬉しくないわけではないですが、お金は自分で稼げばいいだけのものです。
お金ではなく思いでこそが大きな財産になるという事は、年齢を重ねて初めて分かりました。
若い時には親に反発する時も有りますが、年を取るとそれを含めてもいい思い出になります。
亡くしてしまった人を取り戻すことは出来ませんが、思い出の中で人は永遠に生き続けます。
先ほど書いたように故人の最後の手がいである遺言書は、財産の分配だけを書いていると味気ないものです。
あくまでも家族が見るものである遺言書ですから、味気ない内容で無く色んな思い出を書いてくれていたので、父の最後の手紙として心に残るものになり、心おきなく父を送りだせました。

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